らーめんおやじの珍道中@221杯目
今年もラーメンの季節がやってきました。
小山町駅前、徒歩10分程度のところにお店アリ。いつになっても行くのに少しだけ迷ってしまいます(笑)
昔食べたのは2年くらい前かな?あの時は同棲してた彼女と一緒にきたんだっけ...とセンチメンタルな気分になりながら到着。
着くと、年季の入った店構え、この薄くなった看板がいい味出してるんだよなぁ。
まずはスープをひと口。うん、ダイレクトに煮干しの旨みがガツンと感じられる。でも、苦みやエグ味はあるのだが、旨みが前面に出てきているので殆ど気にならない。ほんの少し燻香のようなものを感じるが、これは焙煎煮干しを使っているのだろうか?返しの醬油もまろやか。これはなかなか凄い。
麺をすすってみると、これは中々。ちぢれ麺がスープとよく合ってる。煮干しをとにかく入れときゃいいじゃん!みたいな駅前にある某店(オイ)とは違って、しっかり店主さんがラーメンと向き合っているんだなと感じます。
しかし、年齢には逆らえませんね。大盛りを頼んだんだけど、いや〜〜すぐにお腹いっぱいになっちゃう!笑 このお店のラーメンは好きなんだけど、いつ来ても量が多い!この物価高の時代にこれは、店主さん頑張ってます。
ところで、最近は私の家の前にいつも誰かが立っているんです。私が帰ろうとしたら、いつもその男が立っていて。オイ!なんて思うんだけど、これも年齢かな。コッテリしたスープが飲めないんですよ。それに比べて私の家はやけにあっさり。最近は貝類のラーメンなんかも増えてますけど、私の家には誰か人が入ってきています。いつも大勢で家の中心で不思議な模様?を描いているんですよね。
それにしても、ラーメンについて沢山レビューを書いてきたけど、最近はおんなじようなラーメンばっかり食べてる!不思議ですよねー。毎日いろんなラーメン屋を求めて、駅を乗り継いで1時間並んでたのが遠い昔みたい。昔は小山町にもこの実直な煮干しラーメンのお店ように、こだわりのあるラーメン屋が沢山あったんですけどね!
今やチェーンのお店ばかりで、ちょっと風情が少なくなってきたな、なんて(笑)あと包丁を持った人が何人も私の家の前を歩いていたり、すっかりこの街のラーメン事情も変わってきたなぁなんてしみじみ思います。
あと、このお店はしばらくしたら店員さんが水を入れに来てくれるんですよね!今やセルフで水入れてくださいってお店ばかりなので、こういう人間味のあるお店がわが街にも増えたらいいなあなんて、わがままを言ってしまいそうになります(笑)
家の中に描かれた模様が、そろそろなくなっていたらいいなあ。ラーメンってどうしてもそういうことを忘れるために食べに来ちゃう。だから私の体脂肪率はいつまで経っても減らないんですが()
家に帰ったら私の家の前にやっぱり男が居ました。(笑) オイどんだけ暇なんかいって(笑)
今度はこのお店の油そばも食べにきます!
肉片として
電車内のモニターに映像が流れていて、私が見知った芸能人が映し出されている。私はそれらの映像に馴染みがあった。映像の中で、クイズが出されている。肉片がゆっくりと、さまざまな角度から映されていた。コップの中に、なにかを入れて「どのコップに入っている?」と映像の下に文字が映し出されている。私はそのゲームをどこかで見たことがある。だから、私はそのゲームのルールを知っている。コップの中に、なにかがあり、それをシャッフルして、どこに隠してあるか。しかし、電車内で、なぜそのようなゲームを課せられているのか、私は到底理解できなかった。
そのあと、十年来の友人二人と、カフェに入った。一緒にバンドをやっていた、飯村という男が話している。彼は会社の話をする。昇給の話。私は、バンドをやっていたときの彼の顔や話し方が、わからなくなる。あの時の彼に対して思っていた感慨も、なにもかも、忘れてしまう。私も肉片だし、彼も肉片である。彼とバンドをした記憶。彼はギターをうまく弾けなかった。ギターを弾く彼は自信なさげに見えた。私の眼はそんなことを思う。彼が、会社の中国人の同僚の話をした。私はその中国人を、私の眼では見ていない。私はその中国人をイメージする。その対象は、彼のそれとは一致していない。一致していないものを、話している。肉片同士で会話する。 高校時代に、飯村と教室を歩く私が想像される。飯村の笑顔が思い浮かぶ。私の気分が思い出される。カフェには他の肉片が歩き回る。この街を先ほど歩いていたが、多くの肉片が歩き回っていた。妙に車もある。車に当たってしまうと、死んでしまう。私は車に当たっていないため、このカフェで、飯村の話を聞くことができる。
死んでいない。丸机の上に、コップが見える。コップを触ることができた。もう一人の友人、重原が見える。重原は脚を組んでいた。私たちは渋谷のカフェにいる。人が多い。私はそのあと電車に乗る。また映像が流れている。肉片が映像に映し出されている。肉片が肉片を見ている。私という肉片や、他の肉片もそれを見ている。また、コップをシャッフルしている。
運ばれていた。私という肉片が上に運ばれる。エレベーターが、どう動いているか、わからない。気づくとオフィスのある十七階に着く。炎が空間にないのが不思議だった。炎がないため、好きに空間を動き回ることができた。空間を動き回るにしても、私は、私の会社がある、ドアを開けなくてはいけなくて、それには社員証が必要だった。社員証が、液体ではなく、固形物だったから、それを手に持ち、ドアの横の磁気にタッチできた。生活が安定していた。安定した生活の中、安定した私が、オフィスに入った。会社には、いつも同じ人がいて、安心することが多かった。自分の、会社用のロッカーを開けた。犬の死体が入っていた。怖かったが、仕方がなかった。パソコンとAC電源と、名札を持って、私は自分の席を探した。パソコンのモニターに、名札をクリップで留めた。指が、大変簡単に、動いていた。仕事を始めよう。私の今日の仕事は、分度器を極力見る、という内容だった。分度器は、どの角度から見ても、分度器だったので、私は皆さんに「分度器でした」と報告した。先ほどロッカーに犬が入っていたので「犬を私のロッカーに入れたのは誰でしょうか」と言ったら、皆さんはびっくりしたような表情で「本当ですか」と言った。
じゃあちょっと上に聞いてみるね、と上司が言ったが、それから何の音沙汰もなく犬はロッカーに入ったままであったので、私は仕方なくその犬を埋めようと街に出たのだった。 手頃な公園があり、そこに私は犬を埋めた。なんでこんなことをしているのだろう、と思ったのも束の間、それはすぐに思い出に変わる。思い出は思い出のままとっておけば、いつの間にか光に埋もれて光がさらっていってくれる。光があるから、私はいつだってまたエレベーターに乗る。
エレベーターを上がっていた。この空間に犬がいたら大変怖いだろうな、と思っていると隣には同じ会社の男がいて「魚は絶対に魚である」と言った。どういうことでしょうか、と私が尋ねると
「魚は必要に駆られて魚をしている。魚は海にいるときは必ず魚ではない。魚は人間がつけた名前だ」と言っていた。
帰りしな、電車のモニターに映像が流れている。最近、池上線から山手線に路線を変えたが、ここでも肉片が動くようすが流れていた。最近よく見かけるのは、肉片が別の肉片を食べる映像である。肉片が料理した肉片を、肉片が食べていた。ここで見知った芸能人こと肉片は、笑顔で肉片を頬張り「肉片に対するコメント」を投じる。発言が画面の下にテロップとして表示される。私はテロップで発言が残されたことがないので、羨ましく思った。電車内には数々の肉片がいて、皆がスマホを触っている。スマホの中を覗くと皆が皆、他の肉片のコメントを読み込んでいたり、または別の肉片が動く映像を眺めている。肉片が肉片を撮影し、その映像を肉片が拝見し、その後家に帰って肉片を食べるというのだ。なんて素晴らしい事だろう。俺も肉片として、肉片が作ったエレベーターに乗り、肉片が作成した資料を読み、肉片にメールを送り、家に帰り好きな肉片の映像を肉片として眺めるのだ。それも毎日。いやー堪らない。にしても最終的には俺という肉片も焼かれて骨になるらしくて、その骨が埋まった土を、昨日の公園の犬がワンワンと掘り起こしてくれる時が来ると思うと今日も嬉しい気持ちになるのだ。
医者とバイク
ご家族の皆様、お忙しいところお集まりいただきありがとうございます。
私が担当医の大岩と申します。
白井翔太さんの病気について、皆さんにできるだけわかりやすく説明します。
レントゲンを見せて説明しますね。
脳の一部分に、傘のような形があるのがわかるでしょうか。
普段、よく使わせてもらっています。 雨といえば傘、傘といえば雨、みたいなとこありますからね。
すみません、なんか笑っちゃいました。
私は普段からこういうことで笑ってしまい、殴られたり、蹴られたりしています。
だから身体が痣だらけなんす。
話を戻しまして、わかりやすく言いますとね、マジの傘が、翔太さんの脳に残されています。
さすがにどういうことなのかわからないですけど、実際こういうことはあります。
いつあるのか?と聞かれると今でしょ、としか答えられないんですけど、それはすみません。
彼がこのような病気になった経緯を説明します。
翔太さんは、街を歩いていたところ、後ろから急に殴られたそうです。
お前たちは殴られたことがないからわからないかもしれないけど、そういうことはかなりあります。
実際、俺がお前たちを今ここで殴ることもできるわけです。感謝しちゃってください。
今俺がお前たちを殴っていないことに、感謝をしちゃってくださいね。
さて、翔太くんの話でしたね。かわいいかわいい、翔太くん。食べちゃいたいね。
実際、あなた方は、なぜ翔太くんを食べちゃわないんでしょうか? こんなかわいかったら、食べちゃったらいいのにね。
お腹が空いてきちゃったね。あーあ、、、(窓を見つめ、カーテンを開ける。この時、目からは涙がこぼれている)
すみませんちょっと、普通に今日も飯食わないといけないのが嫌になってきました。
飯って毎日食わなきゃいけないの意味不明じゃないですか?飯って糞まずい時あるじゃないですか。
外食とかで糞まずい飯を食べさせられた時、実際に暴れたくなりませんか? 私は普通に暴れたりします。電球とかを壊しちゃうわけです。
話を戻しますと、彼が殴られたのには理由があるって、警察さんも言ってました。ふだんからお世話になってるので、警察のことは警察さんって呼んでます。
警察さんにも「警察さんって呼んでね」といわれたのでぼくもそうしています。
よく飴とかガムをくれるので、うれしいです。ぼくは、警察さんにたくさんお世話をしてもらっています。
嬉しいですね。最近、嬉しいことが続いています。
昔からの友人だったり、最近仲良くしてくれる友人に、感謝しています。
また涙が出てきたな。僕は、心が裸の状態だね。ははは…。誰か、助けてくれないかなぁ…
(突然、机の上にあったコップを壁に思い切り投げる)
よいしょ!よいしょ!ちょっとやる気が出てきましたよ!
よっしゃよっしゃ!いい感じだなあ!僕は今、相当医者の状態だよ!
じゃあさ、治しちゃおうよ!せっかくだし、脳とか治しちゃってさ!
そんでさ、そんでさ、行けるとこ全部行っちゃおうよ!あーおもしろいわぁ(涙が溢れている)
ん?あ、経緯を話さなきゃいけないんですね。
かしこまりました。はい、仕事です。お金をもらって、ここに来ています。来ています! 治したいです!はい!お金は別に沢山貰えるんですけど、はい、はい、なるほどですね。ですです。
という、なんか経緯を一応お話しする方がいいとのことですので、お話ししますね。なんで泣いてるんですか?こっちの方が泣きたいですよ。なんだ糞家族が。死ぬわけじゃないんだし、別に死んでもいいじゃないですか。人間いつか死ぬから。お前らを先に殺してやろうか?
すみませんでした、一応彼がこの病気になった経緯を話しますね。
翔太くんは、恨みを買っていたそうです。彼がなぜ恨みを買っていたかわかりますか?
彼は、野菜の売ってる場所に行き「これって…?」と毎回言っていたそうです。
翔太くんってチンポにハエとか入ってるんですか?
僕も入っていたことがあるので、あまり文句は言えませんけども。
野菜を見るたびにそう言ってたんで、 気概のあるおばさん数名は、野菜に毒を塗って並べていたそうです。
そのせいで、関係ないおじいさん数名が、普通に死んでしまう、ということも結構あったらしいです。 おばさんとおじいさんが殺し合うなんて、僕は許せませんよ。
警察さんに話を聞いたら
「でも、おじいさんはすぐ死ぬからなあ」 「おじいさんは、布に似ている」 「おじいさんは、本当におじいさんなのかなあ?」
と言っていました。この国は腐っているよね!? ねえ、家族の皆さん、この国は腐っちゃってませんか!? マジ許せねえよ俺!
警察さん、勘弁してくださいよ! って僕言ったんですけど、 警察さんは「老いた人間を、閉じ込める必要がある」と言っていました。
死を「閉じ込める」と表現していたことが、怖かったですね。
じゃあ何かと。生きてる時は閉じ込められていないっていう状態なんかいと。さすがにわろてまいましたけどね。
お待たせしました!
これから、私たちの治療方針をお話しします。こっからマジのやつです!
じゃあ何かと。今までマジじゃなかったんかいと。そう言う奴に、私は今まで色んな形の挨拶を受けてきましたよ。
そういうのが大好きですよ僕は。
僕は挨拶されるのが大好きですし、これからも挨拶をしていきたいんですよ。
話を戻しまして、治療方針ですが、まず、バイクで翔太くんに突っ込みます。
この時、バイクはこちらで用意します。いいバイクです。 翔太くんが粉々になる場合もありますが、そこはご安心ください。 その場合、普通にもっかい翔太くんを組み立てます。
こっからは「もしも」の話になっちゃうんですけど、
おい、もしもの話を始めただけで騒ぎ出すなよ。
こっちは頑張ってるんだよ。頑張っている人間に対して何だよ。
もう家に帰ってパソコンでもしようかな。パソコンでは、ゲームや、キーボードを叩く、などの事ができます。
こんなに騒がれるなら、もう僕はわかりませんよ。
バイクで翔太くんを粉々にしたあと、僕のこともバイクで粉々にしてもらって、それを一つに固めて、新しい僕にしてくれないかな?
そういうのは、無理な話なのかな?これは、無理なことを言っているのかな?
僕は、そういうことがよくわからないんだよ。また、涙が出てきそうだな。
最近、猪が射殺される動画でしか涙を流してないんですよ僕は。
皆さんは、猪が射殺されているところを見たことがありますか?
蛇/車の速度について
蛇が一匹、道に落ちていた。私は、その蛇を拾って、家に置く事にした。
私は動物に対して、何も思わない。ただその蛇が棒にしか見えなかったので、なにか面白いことがあるかもしれない、と思って置いていたのだ。
蛇は結構喋っていた。結構喋ることができた。話すことといえば「海は結構面白い」とか「自分にとって必要なこと、それをし続けることが重要だと思う」と、何やら空白めいた事を言っていた。蛇とテレビを観ていたら蛇は「色んな人が出演しており、色んな事を喋っているが、結果というものが見えない限り、私はこの映像を信じることができない」と言いながら、キッチンへ行き、2秒でチャーハンを作っていた。蛇は、考えたことは全部やる、という意識が根付いていた。
私は一人、蛇、蛇って必要ですか?と考えていた。なぜ蛇というものがこの世に存在する必要があるのか、考えてもよくわからない。ただ危ないだけ。ただ危ないものなんて全部なくなってしまえ、がモットーの私は、蛇の意味がわからないでいた。
蛇は私のことを好んでいました。私には、その蛇の考えていることはなにひとつ、わからないでいました。昔、仲良くしていた蛇などは、手に取るように考えていることがわかりました。その蛇は、私のことを常に強く思っていてくれる、そのように思えたのでした。その蛇は、どれだけ私がひどいことをしようとも、私の近くにいました。私は、そのとき、蛇の気持ちなど、わかるはずはないし、わからなくてもいい、と思っていたのでした。今思うと、なぜその蛇のことを私は考えることができなかったのだろう、と思うのです。私の頭の中は、蛇のことではなく、まったく違ったこと、車の速さについて考えていたのです。
車の速さについて考えることが、私の、当時の人生のテーマであったように、思います。当時、私は車の速さのこと以外は考えていませんでした。驚くべきことですが、当時、車の速さについて、熱く語る人たちが多く居たのです。
「あの車の速度は、すばらしい。なぜなら、エンジンがこのように出来ているからだ。エンジンは、1964年当時のもので、これは「マリドルクさん」が作ったものだ。「マリドルクさん」は車の中に完全に透明な氷を用意しており、そのおかげで、車は実際、初めて車になったのだ」
「当時、車の中に完全に透明な氷を入れることで、これはガチで車ですよ、という言明を作った。それは実際に車の始まりと終わりを作ることだった」
等々、今思えばそれはただの偏屈な言明にすぎなかったのだけど、私はそんな車の速度にまつわる言明を信じており、私自身も車を作る人間になるのだとそう信じていたのだ。だから、蛇のことは後回しだった。いつも車、寝ても覚めても車、朝起きてすぐ車、結局そうやって日々を暮らしていたのだ。
今思うと、そうした車の速度について語ることが、何より大事だと思っていたことに、なんら意味を見出せない。私は車の速度について語ることで、車を知ったつもりになりたかったのだろう。今や、私は車のことは語ることができない、と思ってしまっている。実際に車を作るときには、部品を用意して、手作業で、少しずつ作り上げるしかないからだ。
さて、蛇の話である。数々の蛇に会って、数々の蛇と対話を続けていたが、私にはもはや蛇を語る資格さえない。車の速度についてせいぜい語り続けることしかできないだろう。車に乗ることはあるかい。車は、今も道を走っています。その速度について、考えるべきなのでしょうか。ガンガン走っています。その車の中に、蛇が乗っています。蛇も車も、すごい速さです。今や、蛇も車も、すごいなーなんて思いながら私は見渡しているのです。
形がないという話
順番に簡単に朽ち現れていく感慨や時間を何回も点検して見ているとそれらが形がなくなっていくものに関することなのだと野菜を食べながら思っていると少しも炎が燃えていない気分に胃がきりきり魚の形をしていく。
おしゃれをして現れる人や物たち、形作られた物たちを思う私の心には形がないし言葉にも形がないので意味がわからないのではないのか。わざわざ喋る、わざわざ育ててくれてありがとう、心を育てたのはどなたでしょうか気が済まない。なにをたべてもかってにお腹が空いてくるんやなあと思うとこの身体はなんのために歩いて座るのかと蝶々が飛んでいく、暴力のように音を立てることで色々と霞む話す、意外にも自分のやったことが音を立てて壊れていくというが結局過去も未来も形がなくて不安不安、ふわーんと浮いている午後に誰かに連絡をとって静かにできるのが私であって結局言ったことも言われたことも相手の頭の中が見えるわけではないから形がなくてまた意味がなくなるというが意味とかではなくぜんぶ形になっていないのだ、となると言われたことの中にも感情の機微があってキビ、機微と言われてもそれを言ったことにも形がなく、全部勝手に過去になっていくなら全て形がないのではないのか形があるのは俺とお前であるがこれも別に形なのかと言われると一体なんなのか。
そりゃあ確かに私は言いましたし言ったわけではあるが、どうせ次にまた月曜日になるが何回も月曜日を過ごしすぎてもはやそれはライターから出てくる火みたいなもので結局火が点いていることに対してなにも思わなくなっているのと同様に月曜日で、月曜日がくることを別に忘れても忘れなくてもライターから火は点いて、その指先がべつに火が点いていることにも感動しなくなっている!丸ごとお見事、この指がこの口が勝手に話すように、勝手に脳みそは考えるし勝手に動き続ける男たち、真剣な人たち、心に形はないがパソコンには形があるのはさすがにやばすぎることだと、言っている人が居ましたね、さすがにね。言われすぎではあるけどね。
話す人数が倍、それにしてもこの考えることはあまりにも有限であって、有限なまま歩くとなると行ける場所にもいける記憶にも限りがあるなんていうとさすがにそれは自分がパソコンみたいなものだと言っているのと等しいような金屏風。あらかじめあらゆる姿が金魚の形に似ているというが金魚は水槽をすいすい泳いでいるときなんを考えているのか。追加する、追加する、タブを追加する、そんなふうに人生はできていないのに何度も追加して何度もタブを消すのではあるが俺たちの人生は別タブを開くことができないし動画編集もできないのが現実なのはわかっている、
形があって動けるのは生物だけ、なら別に心は動きますか。心が実際に動いているところを見たらそれは納得の時間、時間もないのに。あと納得も別に形がないんなら全部めちゃくちゃでしたけど、普通の船みたいな模様をした心ってことじゃないの、実際そうなんじゃないの。心は見えないけど靴は見えてるのやばくない、さすがに、さすがに、生活をしている。最近、ツイッターで、酒を飲むと一瞬自分が世界から消えて嬉しい、というような内容を見て、ほんとそれ、と思ったのだが、なんか私らは結局自意識や自分という形を消したくて生きているのかどうか、柄にもなく、早く自意識がなくなればいいと思っていたのに、すごい量の自意識がある、結局最近は記憶をなくすようにしている。それで服を買ったりしている、悲しいことがあっても動画を見て笑うようにしている、だって感傷したって結局意味がないとこにダイビングしているような気持ちだ、そういえばダイビングもしたことがないし、そういえば海にだってしばらく潜っていない、俺には真っ当に意見がない。とても変なことを言って、とても変なことをしている、自信があるんだけど、別に今日もお魚を食べるわけで、そのお魚を海で実際に目にしたことはないのだし、けれどお魚は動いているわけなんだよ。居酒屋に刺身が置いてありすぎるし、普通に暮らしていくことが何よりも炎という形。
水や車が危ない
車を見るといつも、轢き殺されるのではないかと思っています。実際に轢き殺されています。街では棒を見ることが多いです。急に魚の写真を見ています。どこにいても、魚の写真を見てしまうのです。見てはいけないとわかっていますが、魚の写真を見てしまいます。とてもいいのです。私自身もいい人間になりたいと、思っているのです。結構飲み物は、コップに入れて出されることが多いです。私自身も、コップに入れた飲み物を飲むことがあります。コップに入れていると、飲み物がこぼれ落ちない様子が伺えます。いつも、助かっています。沢山の飲み物があります。飲み物は飲むことができます。実際に、飲み物が置いてあることがあります。誰かがコップに飲み物を入れてくれたのです。飲み物は、売っていることがあります。ですので、私は買うことができます。買うことができると、飲むことができます。飲むことで、飲んだことになります。その後、歩いたりすることができます。歩いたりした後、立ち止まることができます。そして「さっき飲み物を飲んだよ」と言うことができます。結構すごいことです。飲み物を飲まないと、飲み物を飲みたいと思う瞬間が出てきます。その時はぜひ、よろしくお願いします。飲み物です。飲み物の話をしています。
飲み物は、売っていることもあり、他にも、公的サービスの場所では、無料で、飲むこともできます。例えば、オフィスに行きますと、無料で水やお湯が出てくる機械が置いてあることがあります。助かっています。いつも、助かっているのです。また、家に帰ると、蛇口というものがあり、蛇口を捻ると、水が出てくることがあります。実際に、飲むことができます。かなり、助かっています。喉を潤すことができます。喉は、基本的に潤すのが良いと言われています。言われ続けています。
次に車の話をします。
車は危ない。走っている。車が走っている。走ろうとさせている人がいる。走らせている人がいて、車が走っていて、人が近くで歩いている。歩いてどこかに行こうとすることが危ない。人間が危ない。心が危ない。走るということはどこかに行こうとしている。そんなに行くところがあってどうする。行くところがあると危ない。行くところがあると行かない時に危ない気持ちになる。人が道を歩きながら話していて危ない。自分とは全然関係ないことを話していて危ない。猿は危ない。猿は形が危ない。人間が話していると危ない。ろくなことがない。人が歩いている。どこかに行こうとしていること自体が危ない。野菜が危ない。野菜は食べられるから危ない。野菜を毎日食べている人は危ない。生きようとしすぎていて流石に危ない。野菜が危ない人間に食べられようとしている。人間は知らないことが多くて危ない。自分のことしかわからない。優しい人がいる。優しい人に、日々会い続けている。優しい人と、会話をすることがある。心が暖かくなることがある。温かい水を飲むことが少ない。いつも、冷たいコーヒーを飲むことがある。優しい人が、歩いていることがある。優しい人が、優しくない人と、話していることがある。優しくない人は、家では優しく、水を飲んでいるのかもしれない。優しくない人は、家の中では、それなりに、人に優しくしているのかもしれない。水は多分飲んでいる。水が、どの家庭にも、満遍なく存在している。ありがたいです。とても寒い季節があり、そのような季節にも、優しい人と会ったりしている。優しい人たちが、いろんな人と、いろんな会話をして、どこからかの水を飲んでいる。水には味がない。味がなくて、普段から助かっている。人間が危ない時がある。
目次を開こう!
あなたは世界のことがわからない、とおっしゃってらっしゃいました。
あなたは無事に、世界をわからない、として終了させるのではなく、無事に世界へと身を投じ、その結果破壊されてしまいました。破壊されたのです。よかったではありませんか。あなたの想像の世界は文字通り破壊され、あなたは次のページへとやっと向かえるのです。あなたの想像では、うまくいくと思っていました。絶対に成功するのだと、なんとか言い聞かせて挑戦したのです。それだけで、よかったではありませんか。あなたは世界の意味を一つ知ることができた。前までのあなたは、わからないものをわからないままに放置していた。しかし、駄目だったということがわかった、ということは、駄目でないこともわかる、ということです。
つまりページを進めるのはあなたしかいなかった。あなたは謎の一部分を垣間見ることができた。それでよかったのではないでしょうか。世界は終わりません。あなたがどうなろうと、世界は続いていきます。あなたは、人生という本の1ページ目の目次で止まっています。目次には沢山の章があります。
のび太・・・11
沈む夕日・・・14
キャタピラという言葉・・・27
黒縁メガネをかけた人・・・43
努力・・・56
九州で生まれ育った人・・・67
魚の実際・・・73
女性の服装・・・82
急に走ってる人が出てくる道・・・87
俺が使っていたスタンプを使っている女性・・・98
シンジ(エヴァの)・・・109
舘ひろしという生き方・・・113
女性の金玉・・・120
そのいくつかの章のページを開かずに、目次であれこれと文句を言うことを、あなたはやめたのです。「のび太」を開いてみてください。どんどん、ページをめくるのです。ページは無限にあるのです。目次だけで、その先を想像しないでください。そこにはあなたの想像を超えた、不思議な展開があるものです。そのことに、気づけたではありませんか。では、今回あなたが読むことができた「女性の金玉」の内容を、少しでいいので教えてもらえませんか。
「わかりました。女性には金玉がある。それは「関係」という金玉である。男についている金玉はかなり意味がないが女性には「関係」の金玉があるのだ。なぜ女性同士があれだけ仲良くするのか、皆さんは知っていますか?それは関係の金玉を持っているからです。何事も共有しています。例えばどうでもいいことを報告し、どうでもいいことでも楽しんでみせる。それは彼女たちには「場を安定させる」という意識があるのです。つまり私たちが快適に過ごすためには、何よりも場を安定させる。そのためには全ての労力を尽くす。金玉からスタートされたにも関わらず、女性は関係の金玉を持っているのです」
こんなんだったら別にページ開いた意味なかったな・・・他に開いたページはありますか?
「ビール、という189ページ目の短編を読みました。」
どんなんでしたか?
「いきます。えー、 1杯目に必ずビールを頼む人、とても多いんだけど、それが長年不思議で。それは結構、みなさんビールが飲めるということらしいです。で、まあ1杯目はビールを頼むんならそれでいいか、という感じらしいです」
結構やばいですね。中学生が親に聞いた話くらいの薄さですね。もうちょいまともなやつないですか。
「本気のやついきます。265ページ目、イメージの話。 私たちは生きている時に、私というものを大事にしているから不安になる。まず私たちは、生きていると過去のことや今起こっていることを見て、そこで何かしらの感情を覚える。しかし、私は気づいたのだ。その起こっている現象と、世界と、私が感じた言葉や感情は、何の関連もないと。なぜなら、全ての現象は原因や条件があって生じているものであって、そこに実体はないのです。その現象の中に「私」というものを固定させて、イメージによって苦しんで気持が死んでいくのはおかしなことだ。だって、世界はすべて「偶然」そうなっただけのことで、そこで生じる感情や思いが私の全てではないのだから。じゃあどうすればいいのか? 私たちが感じる思いや言葉、イメージと距離を取ることを覚えるのです」
めちゃくちゃいいページ開いてますね。ページを開くのが得意なんじゃないですか?他にいいページありましたか?
「あります。392ページ、犬の気配。 犬には気配があります。結構いるということがわかるのです。犬は結構歩いています。なんでなんですかね?あれは犬以外を見つけている時間らしいです。あと料理をしている人を見つけたいらしいです」
なんかゴミみたいなページも結構開かれているんですね。引き続き頑張ってください。ぜひ海とかに行ってみてください。