棒と球の印象

 

目の前のテレビの中ではユニフォームを着た男たちが何やら遊びをしていた。右下に中3-巨6と書かれていた。中学3年生のことだろうか?

その下の巨6とは何だろうか。どうやら二者が対決していることが私にはわかった。

そんなことを思っていた矢先、小さな土山の上に立っている黒人男性が、棒を持っている日本人の男性に向けて小さなボールを投げていた。

142km/hと下に字幕スーパーが表示された。表示されたということは、テレビを制作しているメディア制作者が、なんらかのメッセージを視聴者に訴えている、ということである。とても速い速度だ。速度を教えてくれているということだ。しかし、なんのためにだろうか?私と速度とはなんの関係もない。このメディアを制作した人間の考えとして、「視聴者の中には、速度を知ることで何らかの感情や情報を得られて喜ばしく思う人間がいる」という推論を持ち、それを実行している”たわけ”がいる、ということを、私は思った。

そして画面から聞こえてくる音にはおそらく2つの音声があった。1つは笛の甲高い音や管楽器、なんらかの打楽器を用いた独特な演奏であった。しばらくして、その演奏は棒と球を使って遊んでいる連中の後ろの檻にいる演奏者によるものだということが、華麗なカメラワークの中でわかった。

なぜ檻に入れられているのだろうか?もしかすると彼らは何らかの罪を犯し、その服役中の仕事として演奏を行っているのかもしれない。そうでなければ、球遊びをしている連中に向けて演奏をする必要がどこにあるのだろうか?

演奏している犯罪者たちを指揮する指揮者はどうやら居ないようである。彼らはどうやら阿吽の呼吸で演奏を行なっており、中には球遊びをする連中と同じ服装をした人間もいた。球遊びをしている人間と彼らは「仲間」であるということだろうか。

普通のコンサートでは演奏者たちがメインの舞台で演奏をするはずだが、舞台は棒と球を使って遊んでいる連中の方がメインのようである。つまりこの劇場の指揮者とはつまり”球遊びをする人間たち”なのかもしれないと私は思った。

また、それとは別の音声が画面からは聞こえる。こちらはクリアな音声であった。別日に録音した音声なのだろうか?そこからは、与太話をしている2名の声が聞こえていた。何やら言葉を使ってそれぞれの思いに乗せてコミュニケーションを楽しんでいるようである。時折球遊びの最中に球が例の演奏者たちのいる方向へ行くとそのうち一人が大声をあげる。「危険である」ことを警告しているのだろうか? 罪人になるとこうしてランダムに球を落とされる、と我々テレビの視聴者に向けてアピールしているのかもしれない。

しばらくして、黒人男性が土山の上から球を投げ、それを棒を持った日本人男性が打ち返した。

「ウッタ、ウッタ、ウッタ」と与太話をしている一人が声を上げた。

「オーキー、デカイ、ハイルカ」と声を上げ、その小さな球はその劇場の遥か上部に行き、それが檻のような場所へ入り込んだ。檻の中の人間が喜び狂気乱舞している。何か嬉しいことがあったのだろうか。もしかするとそこに球が行くと刑期が短くなるのかも知れない。

 

そして棒を使って球を飛ばした張本人は走っていた。こうして見ると若くていい男だなと私は少し欲情した。