100円は何ドルなのか?

暗い教室では扇風機だけが静かに動いていた。

歴史の教科書の年号欄に、1638年、ガリレオ・ガリレイが、雑誌『新科学対話』を発行と書いてあった。

1638年、想像もつかない。

科学の対話?ガリレオは鉄を触ったりしながら

「へえ〜あなたはそんなことを考えているんですね」とかそんなことを言ったりしてたんだろうか。

わたしの右斜め前の下野のカットシャツから出ている腕は、アトピーで赤い斑点だらけだった。

汚いって思う人もいるんだろうな。下野はやけに体も黒く焼けていて、苦手だった。姿勢もしっかりしてるし、つまんなそうな男だった。

「なあ、新学期って裸になりたくならないか?」

と下野が言ったら嬉しくなるが、実際の下野は屈んだり口を開けながら授業を聞いているだけだった。

 

「鶏肉が好きだ」と黒板の前の白衣の男は言った。男はいつも全然おもしろくもない冗談を言う。

隣の席のニキビだらけのコヤマは「あいつ絶対結婚できない」と髪をいじりながら言っていた。

 

白衣の男に呼び出され、理科室の中に入ると、クーラーが効いていた。めんどくさそうにテストの用紙を重ねて、男は何も話さずに、つまらなさそうにマルとバツがついた用紙を何枚かわたしに渡す。

男が手をついたスキに、紙が机の下に一気に流れ落ちた。

 

あー寒い、と思ったり、次掃除の時間だ、と思ってるわたし、

の前に、数学の先生。

紙が重なってミルフィーユみたいになって、わたしはこの冴えない男がなぜか好きになりつつあるんだなと思った。

 

学校から家に帰るまでの道は近くて、すぐに着く。

わたしはいつも東ちゃんと帰る。東と呼んでいる。

東はいつもわたしのつまらない話を聞く。何も言わずただ聞いて笑う。そんな東をわたしは羨ましいと思う。こんなに素敵に人を真っ直ぐ見れる人をわたしは知らないし、わたしはいつまで経ってもわたしのことしか考えられないだろう。と思っているときの駐車場。わたしの家の前は駐車場である。駐車場といっても、一台しか乗り入れることはできない。

家に帰ってすぐお風呂に入った、その頃は、追い焚きなんて言葉は知らなかったが、追い焚きができないので、熱すぎる風呂にはシャワーを直入れして冷やす。ときどきシャワーが湯船から落ちそうになる。それを受け止めたりしているうちに、何をしているのか、わたしはなんのために生まれてきたのかと、そんなことまで考えることがあった。

ちょうどいい頃合いでシャワーを取り出す。お風呂に入っている時間だけで死んでしまっていいとときどき思うが、そんなことを考えていても、天井から汚い水が上から落ちてきて、わたしはやっぱり嫌だと思い直していた。

青のタオルをして風呂から出るのだが、今は緑のタオルやオレンジ色のタオルを着て風呂を出ているのだが、お風呂はやはりいいものである。風呂の外には、洗面台のあるスペースなどはないので、タオルを少し巻いてすぐ上の階に行って服を着替えるのだが、そこはリビングである。テレビ前では野球を見ている父。あーそういえば数学の先生は今は何をしているだろう、ケータイを使ってGPSがあれば見れるはずなのだけどと思いつつ、わたしはインターネットで今日もゲームをするのだろう。