病室の時間

 雪が降るのは、冬だけなのに、夏にはなにもないよね、日差しだけがある。

 あの太陽のひかりをかんじていると、もうすぐじぶんが死んでしまうなんて思えなかった。佐藤はそろそろ死ぬことをわかっていた、昔のことを思い出す。

 この時間ともおさらばで、そろそろ冬のことを考え始めるだろう。印象のないことばを考えながらしているともうすぐ夕方。

 病室のドアから入ってきたのは大沢かな子だった。かなこはしずかな声で「元気だった?」と訊いた。元気なわけがないだろう、だってつかれているのだよ、こんなふうではもうすぐおれは死んでしまうというのがよくわからない。川の池を昨日のことのように見ていたことを思い出すけど、かな子はいつだって鬼のような顔でその水を眺めていて、おれはいつだってそんな横顔をただ見ていたのだ。

 じかんがゆるすかぎり、おれはおれの眼でおれの耳が聴いたものや笑った声を、ずっと思い出していたいのだ。時間は過去に向かって進む。未来のことを考えるのは、過去のために考えている時間だから、それは過去に向かって進んでいるのとすこしも違わない。そう思うだろ、とかな子に言うと、はいはいという顔ではなく、神妙な面持ちでこちらを見ていた。過去のことばかり思い出すのは、なんでだろうね、とかな子は興味がないなりに話を続けた。おれもわからないけど、過去のことばかり思い出すと言うより、過去にしか世界は存在しないんだから当たり前だと言うようなことを思った。 過去のかたちが未来へかたちを変えて俺たちの目の前にあらわれつづける。 病室の窓の光がほこりをすいあげて浮かんでいて、それが室内の空気を満たしていた。

 過去におもいだすことはくだらないことばかりで、時間がすぎてもすぎても明日がやってきて、それを俺は手放すことができない。時間と時間のあいだのすきまが俺たちの目の前を通り過ぎて、かんぜんにおれはおれでなくなる。かな子は昨日見た夢の話を始める。

「横に動物園があって、そこから見える山がきれいなんだけど、ガキ使なんだよね。なんか番組なのそれは。わたしの横の柵がじゃまで、そこにもたれるとジンギスカン屋さんの店長が出てきていい話をしてくれる、どういうことだよってなってたんだけど山は綺麗なんだよ」

 

 かな子は家に帰るとボードゲームオンラインというサイトを開いてわたしとしてログインした。わたしのツイッターアカウントの@studyboy75としてログインすると、わたしがそれに確定されていく感じとともに、一種の倦怠感を感じた。倦怠感はおふろに入るまでずっと残っているが、仕方ない。

 一個のゲームをする。5列の数字が並んでいて、じぶんの手札から数字を選んで場に出すと、その数字より大きい数字が横に並んでいくゲーム。5列のうち、5個分右に進むと「ドボン」になる。ドボンになると、自分の点数がどんどん引かれていく。よく考えると学校教育みたいで気が引けてしまう。ただ、かな子はそれを毎日やる。かな子がかな子たる由縁はこの際関係なく、じかんを過ごすことだけがかな子の時間の使い方なのかもしれないと、筆者は今思っている。

 さて、そのゲームの様子だが、かな子はかな子たる由縁を放棄したまま、2時間、買ったり負けたりしていた。別に勝つとうれしくないのだが、負けると悔しいため、なんだかんだ時間を費やしてしまう。

 佐藤はこの日、生まれてはじめて新聞をちゃんと読んだが、内容がよくわからず、手触りが気持ちいいことに安心し、それからは動物園に行ったときの印象を思い出していた。動物とは、動物とは、動く物って言われているけど、ひどい話だな、よく男が卑猥だと言われるときに動物と言われるが、たしかに動くものだったらそれは卑猥だな、ということだけを思いながら眠る。 佐藤が寝ようとしているのは病院のベッドだが、賭け事のときにつかうベッドという合言葉とは関係ない。関係ないといえば、こしょうがブラックペッパーと呼ばれているのも、俺と関係がない、と佐藤は佐藤なりに思ったが、佐藤が考えていることはだれの目にも耳にも響かないままこの病室を浮遊している、しかしかな子はいつか思うだろう、あいつの、こしょうを見る時、おもに調味料を見る時のいぶかしげな、ほんとうにどれにするのか迷っていたときのあの顔は、いったいなんであんなに見ていられるのか。なんてことを。べつにかっこいいとかかわいいとかではないが、時間が過ぎるのをそのときだけは愛おしくおもえるのだ、わたしが別にこの空間にいなくたって、このじかんが続くなら、わたしはべつに死ぬのは怖くない。

 筆者はここでそろそろコンビニに行って、透明のフィルムにさえぎられた熊の店員にピストルを貰い、それで山に向かっていき、すこし泣いてから歩くが、皆さんはこのあと、どうお過ごしだろうか。できれば、(※1)や(※2)のことを考えるのはやめて、今すぐ愛する人にこう言おう。

Macのノートパソコンの、キーボードを光らせるやつのこと、どう思う?俺はいらないと思うんだけど」

 

(※1)ダンスとかのこと

(※2)童顔だよね、と言われて嫌がる奴